友達からの電話で目が覚めた。


今日はこの友人宅へ、夫と上の子が遊びに行っていた。私も一緒に行く予定だったが、風邪を引いた0歳娘と一緒に自宅にいることにしたのだ。寝転がって、うとうとしながらいい天気の空を眺めていると、4年前、ここに引っ越してきた時のことを思い出した。


それまでワンルーム暮らしだったから、2LDKがやたらと広く感じて「こんな広いところに住んでいいの?」と思った。前の部屋は目の前に隣のビルの壁が迫っていたけれど、今の部屋は空が見え、くっきりした夏の雲がなんだか夢みたいに浮かんでいた。


3歳の息子とよく遊んでくれたらしい友達の話を聞き、お礼を言って電話を切りしばらくすると、夫からメールがきていた。「ここは子どもの楽園」というタイトルで、公園で遊ぶ息子の写真が添付されている。電話してみると、広い公園が駅前にあるので、しばらく遊んでいくという。電話越しにきゃーきゃー言う息子の声が聞こえてきた。


夕方だけどまだ明るい。だんだん暮れていく空を見ながら、0歳児と日本語ならぬ言葉で交流して遊んでいたら、一人暮らしをしていた頃のことを思い出した。


休日の昼過ぎ、アメリカに住んでいた夫からの電話で起こされる。パジャマを着たまま、平気で1時間、2時間は喋った。夫が寝る時間になり、私はお腹が空いてきて、電話を切るともう、昼食の時間はとっくに過ぎていた。何か適当に作って食べることもあれば、近所に食べに行くこともあった。一軒、女一人でも入りやすいラーメン屋があり、いつもクラシックがかかっていて、寡黙な主人と明るい中国女性が応対していた。


食事を終えるともう薄暗く、ちゃんとした人たちは家に帰る時刻だけれど、どこまでも自由な私はそろそろ活動したくなり、夕方なのにまだ読んでいない朝刊を持ったまま、地下鉄の駅を目指す。ターミナル駅に直結した百貨店を抜け、大型書店へ。ぶらぶら見て回り、適当な本とデパ地下のお惣菜を買って帰った。


帰り道に住宅街を通ると夕食の匂いがして、自分が一人であることを強烈に意識させられる。この間受けたTOEFLの点数を思い出し、気分が落ち込む。私は本当にアメリカに行けるんだろうか。夫はいつ、博士号を取るんだろう。


7年前の春の日はこんな風に過ぎていった。あり余る自由時間は孤独とセットになっていて、今はそのどちらもない。


気が付くと空が暗くなっていて、そろそろ夫と息子は帰ってくるのかなと思い携帯電話を見て、30分前に公園を出ていたことを知る。慌てて夕食の支度を始め、ひとりになると寂しくて泣いちゃう0歳娘をおんぶする。


いつまでたってもなくならない、洗濯物の山や、絶え間ない家事や、限りなくゼロに近づいた自宅でのひとり時間。それらのコストを払って手に入れた、誰かと分かち合える気持ちの良い春の日の夕方。これを私は「幸せ」と呼ぶ。