45年遅れの女性解放運動を感じる。ワシントンを描いたルポから

 ウーマン・リブ運動が何故、一見、世界で一番恵まれたアメリカ女性達、それも中産階級の女性達の間から起り、まさにそのような運動を絶望的に必要としている他国の女性達の間から起らなかったかと言えば、自由と平等と論理性を基本概念、あるいは建前とする社会においてのみ、不自由、不平等と非論理性を告発する感覚がとぎすまされるということになりはしないだろうか」。

 1979年6月に文藝春秋から出版された書籍「ワシントンの街から」P233より。本作品は第11回(昭和55年)の大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著者のハロラン芙美子さんは、ワシントンというアメリカの中でも特殊な政治の街に住み、議員、補佐官、法律家などに取材して生き生きした筆致でその様子を伝えます。
  ちょうど女性解放運動から約10年、様々な分野に進出している女性の様子と悩み、アメリカ社会の良い部分と厳しい部分を公平に描いていて、約半世紀経った現在も読む価値がある。
 最近、日本でも女性、女性って言われることが増えたな、と思う人がいるだろう。それは、ハロランさんが書いているように「おかしい」と言えるだけの人権感覚、合理性がこの社会に広まってきたからなのだろうな、と考えました。