ハフポストで日経新聞掲載の広告について問題点を解説しました

 こちらです。

www.huffingtonpost.jp

 

ポイントは3つあります。

①表現自体の問題

②広告起用の問題

③対外的な約束という問題

 

 私は①については個人の判断というスタンスです。現時点では法規制に反対という立場で、行政の審議会でもそのような発言をしてきました。

 ②については問題があります。広告は公的空間に掲出され、お墨付きを与える効果があるためです。

 今回、いちばん問題視したのは③です。企業などが国際枠組みで約束したことは守らなければいけません。守るつもりがないなら、その枠組みから外れるのが筋です。この筋論が守られていないことが一番の問題だと私は思います。

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  記事公開後に様々な人と意見交換をしました。整理して紹介すると、欧米出身者、その文化に触れて教育を受けたり仕事をしてきた人は、①の段階から問題視しています。この文脈で自由を持ち出しても、彼・彼女たちには理解されません。ビジネス関係者は②を重視します。

 ①~③まで認めるべき、という意見の方で、穏当にやり取りする関係にある方とも話をしています。その方の考えは分かりました。

 しかし、SNSで目立つのは、今回の広告に違和感を持つ人の意見表明をつぶすかのような動きです。自らの表現の自由は最大限みとめられるべき、異論を述べる自由は許さない、という主張は矛盾していますし、長期的には正当性を失っていくでしょう。

 

 

五島美術館

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 五島美術館平安時代の書や源氏物語絵巻(GWごろに実物公開、普段は複製を展示)などを展示してありました。

 写真は見事な庭園です。自然をなるべく生かした「やま」に石段や灯籠、石仏、あずま屋が点在していて、歩いて楽しいです。

 東急グループ創設者が収集した美術品と土地建物を寄付してできた美術館です。

 

 

映画「ドライブ・マイ・カー」感想(内容にふれています)

  映画「ドライブ・マイ・カー」見てきました。アメリカでアカデミー賞・国際長編映画賞を受賞したため、週末の映画館は満席です。

 

www3.nhk.or.jp

 原作の村上春樹短編小説「女のいない男たち」を読んでいたのと、村上作品はほとんど読んでいるため、どんな具合に映像化したのか興味があって見ました。このつづきはあくまでも、私個人の感想です。

 映画は3時間近くと長く、最初の3分の1は退屈なポルノに見えてしまいました。とにかくセックスシーンと性描写発言が多いのは村上春樹っぽいと言えますが、ちょっと、もう、いいかな…と思って帰りかけました。ただ、中盤から面白くなりました。私の感覚では。

 まずは原作ポリスの観点から内容を把握してみます。映画タイトルは村上春樹の短編集「女のいない男たち」に収録されている同名小説からきています。小説では女優の妻が映画だと脚本家になっている他は、だいたい原作通り。

 ただ、表題作以外の小説も混ぜ込んであります。例えば性行為の後、女性が物語を話す場面は「シエラザード」、主人公の男性がが予定より早く出張から帰宅して妻が他の男とセックスしているシーンを目撃する下りは「木野」。いずれも「女のいない~」に収録されている短編小説です。

 その他、村上読者が気になりそうなところでは、文芸誌掲載時にクレームがついて単行本で変更されたタバコのポイ捨てシーンは映画でも描かれていません。ドライバーの女性は携帯用灰皿に吸い殻をしまいます。

 原作と大きく違うのは主人公とドライバーのみさきが密度の高い交流をするところです。通常、村上春樹の小説は因果律を離れたところにある不思議な出来事を描いており、時空を超えます。この特徴を知っていると、映画は「○○だから××になった」という分かりやすい因果関係を描いているように思えてちょっと陳腐かも、と思いました。

 映画の良かったところは、何より劇中劇で「ワーニャ伯父さん」を思いきり全面に出した独自の脚色でしょう(私の好みです)。日本語、北京語、韓国語とおそらくロシア語、さらに韓国語手話の多言語で、アジアの俳優が集まって演じるという設定になっています。主人公は演出を手掛け、英語で指示を出します。

 多言語の演劇祭という分かりやすい仕掛けは海外映画祭向けだと思いました。分かりやすいのです。そして、この部分は言語+手話と重層構造になっていて見応えがある。特に、韓国人女性が手話で演じる場面は、この俳優さんの雰囲気もあり、良いシーンを見せていただいた感じです。

 そして「言葉」でコミュニケーションしない韓国人夫妻(夫は演劇祭の事務方です)の意思疎通が実はよく出来ていることを示す食事シーン。これは、言葉で繊細なコミュニケーションを取り、セックスも頻繁にしているけれど相手を理解できなかった主人公夫婦と対照的でした。

 ドライバーは20代女性の「みさき」。この俳優さんも雰囲気があって良かったです。北海道の片田舎で水商売をしている母親から激しい暴力を受けて育った設定で、いわゆる不幸な生い立ちですが、それを恨みもせず自分を憐みもせず、ひとりで立っている感じがあります。

 
 

映画「ドライブ・マイ・カー」感想(内容にふれています)

  映画「ドライブ・マイ・カー」見てきました。アメリカでアカデミー賞・国際長編映画賞を受賞したため、週末の映画館は満席です。

 

www3.nhk.or.jp

 原作の村上春樹短編小説「女のいない男たち」を読んでいたのと、村上作品はほとんど読んでいるため、どんな具合に映像化したのか興味があって見ました。このつづきはあくまでも、私個人の感想です。

 映画は3時間近くと長く、最初の3分の1は退屈なポルノに見えてしまいました。とにかくセックスシーンと性描写発言が多いのは村上春樹っぽいと言えますが、ちょっと、もう、いいかな…と思って帰りかけました。ただ、中盤から面白くなりました。私の感覚では。

 まずは原作ポリスの観点から内容を把握してみます。映画タイトルは村上春樹の短編集「女のいない男たち」に収録されている同名小説からきています。小説では女優の妻が映画だと脚本家になっている他は、だいたい原作通り。

 ただ、表題作以外の小説も混ぜ込んであります。例えば性行為の後、女性が物語を話す場面は「シエラザード」、主人公の男性がが予定より早く出張から帰宅して妻が他の男とセックスしているシーンを目撃する下りは「木野」。いずれも「女のいない~」に収録されている短編小説です。

 その他、村上読者が気になりそうなところでは、文芸誌掲載時にクレームがついて単行本で変更されたタバコのポイ捨てシーンは映画でも描かれていません。ドライバーの女性は携帯用灰皿に吸い殻をしまいます。

 原作と大きく違うのは主人公とドライバーのみさきが密度の高い交流をするところです。通常、村上春樹の小説は因果律を離れたところにある不思議な出来事を描いており、時空を超えます。この特徴を知っていると、映画は「○○だから××になった」という分かりやすい因果関係を描いているように思えてちょっと陳腐かも、と思いました。

 映画の良かったところは、何より劇中劇で「ワーニャ伯父さん」を思いきり全面に出した独自の脚色でしょう(私の好みです)。日本語、北京語、韓国語とおそらくロシア語、さらに韓国語手話の多言語で、アジアの俳優が集まって演じるという設定になっています。主人公は演出を手掛け、英語で指示を出します。

 多言語の演劇祭という分かりやすい仕掛けは海外映画祭向けだと思いました。分かりやすいのです。そして、この部分は言語+手話と重層構造になっていて見応えがある。特に、韓国人女性が手話で演じる場面は、この俳優さんの雰囲気もあり、良いシーンを見せていただいた感じです。

 そして「言葉」でコミュニケーションしない韓国人夫妻(夫は演劇祭の事務方です)の意思疎通が実はよく出来ていることを示す食事シーン。これは、言葉で繊細なコミュニケーションを取り、セックスも頻繁にしているけれど相手を理解できなかった主人公夫婦と対照的でした。

 ドライバーは20代女性の「みさき」。この俳優さんも雰囲気があって良かったです。北海道の片田舎で水商売をしている母親から激しい暴力を受けて育った設定で、いわゆる不幸な生い立ちですが、それを恨みもせず自分を憐みもせず、ひとりで立っている感じがあります。

 
 

朝日新聞デジタルでNTT社長・入社式あいさつのジェンダーバイアスについてコメントしました

 日本を代表する企業の入社式。社長あいさつの以下の部分について批判的に取り上げた朝日新聞デジタル記事でコメントしました。

 

www.asahi.com

 「私たちは、女性と男性は違うと考えています。人間という意味ではもちろん一緒ですけれども、能力や特性の得意な分野が違うと思います。それを例えば、女性が得意な分野で男性も測定してしまうと、男性にとってはビハインドになりますし、逆に男性にとってのみ得意な分野で、女性が苦手な分野を強く評価してしまいますと、それは女性にとってはやはり難しい。女性には女性のよさ、男性には男性のよさがあり…」

 

 スピーチ全体は4300文字で、紛争、天災などに言及した上で持続可能な社会を目指した技術開発などの話をしています。常識的な内容です。

 ジェンダーの観点から批判対象となっている部分は、私の見立てでは200文字弱。5%くらいです。それも、どちらかと言えば、女性を励まそうという善意で話している感じがするので、私は記事中でこのようにコメントしています。

「女性を励まそうと思ってこうした発言をする例はよくある。善意に基づくものでも、ジェンダーバイアスにとらわれた発言で残念」

「男女それぞれに何かの特性があると決めつけることは、それと異なる人々の行動や希望を制約しかねない」

 

 ジェンダーについて知識がある女性からも、似たような発言を聞くことがしばしばあります。私は無意識バイアスは性別年齢問わず持っているものだと思うので、これは「人の振り見て我が振り直せ」の事例だと思いました。

 

ナチスの官僚機構の働きを克明に描く歴史書

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 アメリカの歴史学者ラウル・ヒルバーグによる大著。タイトルの「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」とは、いわゆる「ホロコースト」を指します。

 本書はナチス・ドイツの官僚機構としての働きを一次資料の文書から解き明かしており、膨大な参考、引用文献を踏まえています。

 ひとつの民族を丸ごと根絶やしにする政策の実行は、極悪人ひとりの思想では説明がつきません。ナチス・ドイツは精緻な官僚機構を備えており殺害命令を文書で示すのはまれなことでした。我々が今、ホロコーストと認識している事実は「ユダヤ人問題の最終解決」と呼ばれたのです。

 つまり「最終的な解決」を絶滅と解釈し、そのために必要な諸制度を整備した官僚機構の働きなくして、数百万人の殺害はなかったわけです。その官僚機構がいかに働いたのか、ひたすら事実を積み重ねていきます。

 本書の上巻ではユダヤ人を「定義」し「登録」し財産を「没収」するための法整備と行政の動きが書かれています。絶滅収容所に人々を送ることは「移送」と呼ばれました。下巻には、絶滅収容所ガス室が「シャワー」と呼ばれたこと(これは多くの人が知っていますね)、シャワーを浴びるのは、他の収容所に行く前に身体を清潔にするため、という説明がなされたことが書かれています。そのため絶滅収容所は表向き「中継」地点と呼ばれたそうです。

 上巻の終わりから下巻にかけては、ナチス・ドイツが支配した各地域がユダヤ人絶滅政策にいかなる協力や抵抗をしたのか描かれています。それは元から諸地域にどのくらいユダヤ人が住んでいたのか、差別意識はどの程度だったのか、ナチス支配の強度や行政の体制によって異なります。ある地域では人権意識と緩いナチス支配が、別の地域では王様の考えが影響してユダヤ人を助けたり殺したりします。

 ナチスを裁き「人道に対する罪」を創設したニュルンベルク裁判は、画期的なものだと思っていましたが、著者によれば、あまりにも多くの加害者が罪を問われなかったようです。戦後、ナチスの犯罪に対する見解に変化が生まれた後で逮捕された加害者が、高齢や病気を理由に釈放された下りは皮肉です。ナチス強制収容所では働けない人はガス室で殺されたから。

 本書が明らかにするのは、ヒトラー個人の狂気に進んで協力した優秀な官僚機構が史上まれに見る巨悪を生み出した事実です。ホロコーストに関心がある人はもちろん、優秀なホワイトカラー労働者に読んでほしいです。

 

倉敷旅行、主に大原美術館で考えたこと

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 いろいろなことが落ち着いた春休み、倉敷に旅行しました。出張ではない純粋な「旅行」は久しぶり。現代日本の都市で暮らしていると、倉敷の白壁の街並みは「江戸時代」という外国に旅行しているみたいです。

 夜、到着して駅前の百貨店で夕食をとったら、親切な中華料理店で梅酒をおまけしてくれました。翌朝は街中の古民家カフェで朝食をとった後、大原美術館へ。

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 館内、入り口付近に有名な画家の作品がいくつもあります。どんどん進んでいくと、エル・グレコ「受胎告知」の前に椅子が並んでいて座って見られるようになっていて、誰もいなくて得した気分になる。
 ここは日本初の西洋画を集めた美術館として1930年に開館。紡績業で財をなした大原家の当主・孫三郎とその友人で画家の児島虎次郎の友情から生まれた美術館であることが、いくつかの解説から分かります。児島は大原家の奨学金を得て現在の東京芸大で学び、欧州に留学も果たしています。

 日本に西洋画を持ち込んで人々に見せ、美術界を発展させたいという児島の要望をうけいれ、大原家がスポンサーとなり児島の目利きで集めた作品を展示したのが大原美術館です。孫三郎は「10年先が見える」が口癖だったようですが、開館から既に92年が経ちました。実際には100年後も倉敷の街に賑わいを呼ぶ美術館を作ったことになります。未来が見えるイノベーターだったのだな、と思います。

 

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 私が泊まった倉敷国際ホテルは美術館に隣接していて、白壁の街や美術館を訪れる観光客を想定して1960年代に作られています。もともと紡績工場だったレンガ造りの建物は、ホテルやレストランを含むアイビー・スクエアとして生まれ変わり、ここも観光客がたえません。父の実家が岡山県の山間にあり、子どもの頃、祖母と一緒に倉敷に来てアイビー・スクエアで洋食を食べたことを覚えています。

 白壁の町の中には大原本邸があり、そこに孫三郎の息子、総一郎の書棚が展示してあります。紡績業に関連した技術分野、芸術などに加え、レーニンの著作や労使関係に関する本も並んでいて、視野の広さを感じました。

 未来を見通す力のあるイノベーターは正しいお金の使い方を知っていた御曹司でもあり、文化、芸術、社会科学などの教養が背景にあるのだなと思います。